鉛製錬

1.鉛の歴史

    鉛は歴史的に古代より人類の生活の中で広く使用されてきた金属の一つである。紀元前6400年ごろには,現在のトルコで鉛のビーズが作られおり,紀元前3000~4000年の古代エジプトでも装身具や漁網の錘,耳輪に使用されていた。また,鉛の鉱石である方鉛鉱は粉砕してアイシャドウなどの化粧品として使用されていた。今でも北アフリカのバザールでは,化粧品として方鉛鉱が量り売りされている。また,白色顔料として「鉛白」は紀元前4世紀頃には使用されており,鉛白の主成分は塩基性炭酸塩(2PbCO3・Pb(OH)2)である。近年になって亜鉛華,リトポン,酸化チタンなどの白色顔料が使われるようになるまでは,隠ぺい力の大きい唯一の白色顔料として使われていた。尚,現在では鉛白は人体に有害なため,使用上の制限を受けて,生産が減少している。

    紀元前3000頃にはアジアで方鉛鉱を焙焼して製錬する技術が確立され,灰吹法と呼ばれる鉛を使った金銀の製錬法が開発された。尚,鉛の消費としては,金や銀の製錬用として金や銀を溶かし込んだ貴鉛として大半が使われたと考えられる。紀元前2000頃にはアッシリアで鉛の通貨が使用されたとの記録があり,紀元前2000 ~1000中期ミノア時代のエーゲ海地方で鉛と銀の遺物が発見されている。紀元前600年頃にはギリシャでLaurion鉱山が開発され,その鉱石には平均約1.7kg/tの高濃度の銀が含まれていたことから,銀の一大供給地になった。

    紀元前149~146年の第三次ポエニ戦争によってカルタゴが滅亡し,地中海の覇権を獲得したローマはギリシャや中近東で開発された採鉱や冶金技術を継承し,ローマ街道を作ることで伸展した土木技術を鉱山に応用した。その結果,坑内採掘の給・排水技術が飛躍的に発展し,スペインのラス・メドゥラス金山やリオ・チント銀山などの生産量が急増した。給排水用鉛管の利用は紀元前より用いられていた。ローマ人はローマ市に水道を造っただけでなく, その帝国と植民地の各地に水道を敷設し,水道用導管として鉛管を使用した。ポンペイの遺跡からは給水用鉛管が発掘されている。ローマの水道では,泉や川から引いてきた水は,アーチや地下の本管を通って先ず貯水槽に集められ,その後各個人に送られる。一般的に個人用配管には鉛管が用いられ,水道管の栓,接手,道路の分水箱などにも鉛が用いられた。近年まで,水道用本管は鉄製等で,個別配管には鉛管が広く使われていたが,現在では塩化ビニールやポリエチレンに切り替わっている。エジプトでは先王朝時代に,比重の大きさを利用して漁網の錘に鉛が使われていた。ローマでは鉛の薄板で屋根を葺いていたといわれる。今も趣味の釣りでは,鉛が錘に使われている。

    鉛ハンダ付け技術の利用は非常に古く,ローマの遺跡の中にも高純度の共晶ハンダで接合された器物が発見されている。鉛ハンダ付けは紀元前 3000年頃には始まっており,メソポタミアから出土した銅製の鹿の角が鉛で接合されていた。また,ぶどう酒を造る際に鉛の容器を使用すると,ぶどう酒の味がよくなる等の理由で使用されるなど,幅広く使用されたことから,ローマ帝国で鉛中毒が発生したと言われている。この当時の鉛の鉱石には高濃度の銀も含有されており,鉛の鉱山は即ち銀の鉱山でもあり,製錬された鉛には0.1-~0.5%の銀も含まれていた。灰吹き法によって鉛から銀を分離して,銀貨幣が作られていた。また,ローマ人は羊皮紙に鉛で線を引くことがあり,これが現在の鉛筆の語源となった。現状,炭素が鉛筆の芯の原料であるが,この炭素(グラファイト)を黒鉛と呼ぶのはその名残と思われる。

    ドイツにおいて968年にランメルスベルグ鉱床が発見され, 1136年にはフライベルグで銀を多量に含む鉛鉱石の鉱山が発見され,更に1215 年にはマンスフェルト鉱床が発見されて,一大鉱業地帯に発展したことから,鉛と銀の生産地がヨーロッパ中央部に移動した。1440年グーテンベルクによる近代活版印刷術の発明により,鉛と錫による活字金の利用が始まった。それ以後,文字印刷の主流として活版印刷が利用されて,宗教改革や科学革命を促し,産業革命の礎となった。近代文明は活字印刷物の文字を中心として発展した。しかし,活版印刷は鉛合金の活字を利用するため,工場の衛生上に問題があること,版が重く印刷機の構造も頑丈でなければならず,取り扱いも不便で印刷スピードも遅いため,写真植字法などの印刷技術の進歩とともに,活版印刷はその役割を終え,使用されなくなっている。

    1650年頃ルパート王子( Prince Rupert, 英国)により鉛の弾丸の鋳造が初めて行われた。球形の弾丸の製造は,鉛に砒素を入れて溶かして水砕すると,砒素のため表面が収縮し球形になる。また,大型の弾丸は鋳型によって鋳造している。我が国では,戦国時代に急激に鉄砲が普及し,武士は戦いに臨んで鉛の弾丸を鋳造していた。また,築城の際には屋根を鉛瓦で葺いて,一朝事ある時のために鉛を備蓄していたと云われている。現在では,鉛が剥き出しの弾丸は狩猟用のみで、散弾銃の弾も鉛製である。鉛弾で仕留めた獲物が放置され,その死骸を食べた猛禽類が鉛中毒で死んでしまうという問題が起きている。また,放置された散弾による水辺生態系の鉛汚染により水鳥が鉛中毒になると危惧されている。このため、世界各地で鉛弾規制が進められている。日本でも2000年度の猟期から,鉛散弾の使用を禁止する「鉛散弾制限地域」を都道府県が設定する制度が設けられている。

    16世紀の中頃に,新大陸のアメリカに侵入したスペイン人などのヨーロッパ人が,鉄砲の弾丸用に鉛を現地調達する必要があったため,メキシコのサカテカス銀山(鉛鉱石)が開発された。サカテカス鉱床の鉛鉱石には銀が高濃度に含有されており,鉛鉱山としてよりも銀の鉱山として開発に拍車がかかり,大量の銀が南米で生産されるようになった。更に,米国でも大量の銀が生産されるようになると,銀の価格が低下して銀貨の価値が下落し,当時の多くの国が採用していた銀本位制の通貨制度が揺らいで,金本位制に移行した。

    我が国では戦国時代に金・銀精製に灰吹法が導入され,江戸時代には銅の南蛮吹が開発されて灰吹鉛の需要が増大した。鉛は,金・銀・銅製錬の必需品であった。南蛮吹は,含銀銅鉱に鉛を合わせて吹き,銀を鉛に含ませて貴鉛をつくり,銅と鉛の融点の相違で,まず南蛮床で加熱して貴鉛をしぼり取り,このタレ鉛を従来からの灰吹法によって精製するものである。江戸時代では精錬用鉛が不足して,一時期鉛の輸入が行われていた。

    また,1746年に英国において硫酸製造の際に使用していたガラス室を鉛室に変更する技術が開発され,化学工業に鉛が使用され始めた。鉛板は硫酸を使用する設備の耐久材料として広範に活用されるようになった。1854年ドイツ人ジンステーデン( Joseph Sinsteden)が希硫酸を電解液として陰陽両極に鉛板を配して電解を行った後、この電流を断つと電解電流と方向反対の起電力を生じ、ある時間電流が流れる現象を発見した。この現象を元に1858年頃フランス人プランテ( Gaston Plante)電気エネルギーを化学エネルギーとして蓄電する現象を研究し,鉛蓄電池を開発した。二次電池にはこれまで多くの種類の電池が開発され,実用化しているが,鉛蓄電池はそれらに比して, エネルギー密度, 出力密度とも各段に優れてはいないが,他の電池に比しコストが安くて信頼性の高い電池であるため,現在も自動車用蓄電池を中心に広く利用されている。

    その他,低融点金属として鉛ハンダの用途があり,現在まで汎用されていた。しかし,身の回り品の材料として,鉛イオンの毒性も明らかになったことから,身の回り品へ鉛を使用しない環境対策が定着して,電子機器の鉛フリー化が進んできた。      http://www.geocities.jp/hiroyuki0620785/zairyou/historym6tin.htm

2.鉛の資源

  鉛の主要鉱石は方鉛鉱であるが,方鉛鉱には数百ppm 程度の銀を含有していることが多い。また,銀の他,金,ビスマス,アンチモン,テルルなどの貴金属・レアメタル元素を微量含む。一般に,方鉛鉱は閃亜鉛鉱,黄鉄鉱,黄銅鉱などと共に産出するため,鉛鉱床,亜鉛鉱床を一括して鉛・亜鉛鉱床と呼ぶ事も多い。表1に示す通り,鉛鉱石には方鉛鉱の他,白鉛鉱(PbCO3),硫酸鉛鉱(PbSO4),緑鉛鉱(Pb5Cl(PO4)3),紅鉛鉱(PbCrO4) などの鉱物がある。

表1.主要な鉛鉱石

写真1.方鉛鉱

写真2.紅鉛鉱

3.資源生産量

 資源生産量とは世界の鉛鉱山で採掘される鉛量である。米国地質調査所の2017年報告に記載されている鉛鉱の埋蔵量と資源生産量を表2に示す。鉛の埋蔵量は豪州が最大で3,500万トン,次いで中国が1,700万トン,ペルー,ロシアも600万トン程度埋蔵されている。更に,米国,メキシコにも多く,600万トン程度埋蔵されている。その他,インド,カザフスタン,ボリビア,ポーランド,スウェーデン等の国にも埋蔵量が多い。日本国内の鉛鉱山は2006年に豊羽鉱山が閉山したのが最後で,鉛鉱山は全て閉山して無くなってしまっており,日本国内の鉛鉱石の埋蔵量は無い。

 また,2016年度の鉛鉱の採掘量は中国が最大で240万トン,次いで豪州が50万トン,米国,ペルーも多く30万トン,メキシコ,ロシアは20万トンを越える採掘量であった。次いで,インド,スウェーデン,トルコ,イラン,カザフスタン,ポーランド,南アフリカにも,鉛鉱の採鉱が実施されている。残念ながら,現在日本国内には鉛鉱山が稼働していないため,鉛鉱の採掘量は無い。

表2.鉛資源の埋蔵量と生産量

4.鉛の物性と用途

 鉛は原子番号82番の元素で,原子量207.2,密度は11.34g/㎝3,融点327.46℃である。金属鉛は他の金属と比べて錆びやすいが,表面に酸化皮膜が形成されるため、腐食が内部に進みにくい特性がある。特に,硫酸と接すると硫酸鉛被膜が生成して,内部に反応が進まないため,硫酸を扱う設備の耐硫酸材料として広範に使用されている。また,多くの鉛化合物が水に溶けないため,水中でも腐食され難い特徴がある。その他,融点が低く,柔らかいため,加工しやすい金属として古くから幅広い用途で用いられている。現在の鉛の需要は蓄電池用としての使用が最も多い。蓄電池以外では,工業用,医療用の放射線遮蔽材、防音材などに使用されている。その他,ハンダ,無機薬品、ガラス向けに需要があるが,以前からRoHS指令などの規制へ対応するため,ハンダの鉛フリー化が進んでおり,同分野での需要は減少傾向にある。

 鉛の国内需給推移を表3に示す。2016年の鉛供給量は308千tであった。電気鉛は電解精製で製造した鉛の純度が99.99%以上のものを示す。主な用途は鉛蓄電池,無機薬品,ケーブルの被覆,ハンダ,鉛管板など多岐に渡る。2016年の国内電気鉛の生産量は微増の199千tであった。電気鉛の主要原料は鉱石と廃バッテリーであり,鉱石は豪州,米国,ペルー等から輸入されている。再生鉛は鉛含有量が97%以上のもので,鉛または鉛合金を再生した地金を示す。再生鉛には鉛含有量が99.99%のものもあり,主な用途は鉛蓄電池である。2016年の国内再生鉛生産量は41千tであった。

 2016年の鉛需要量は279千tであった。このうち,内需は263千t,輸出は16千tであった。内需では蓄電池向けが需要量の91%を占めており,蓄電池には電気鉛と再生鉛の両方が使われている。2016年の蓄電池の需要量は240千tで,内訳は電気鉛が191 千t,再生鉛が49千tとなっている。蓄電池は自動車や二輪車などのモビリティ用,通信機器やフォークリフト,バックアップ電源などの産業用に使用されている。自動車用蓄電池のうち,アイドリングストップシステム(ISS)の普及に伴い,従来よりも大きな蓄電量を必要とするため,鉛の使用量が増加し,バッテリー重量も増える傾向にある。今後,ISS用の鉛蓄電池が増えることから,鉛地金の需要が増える可能性がある。

 また,鉛は放射線を遮蔽する特性があり,レントゲン関連をはじめとする医療用,電子線照射装置や半導体製造装置,放射線検査装置などの産業用にも多く使用されている。また,コンサートホールや住宅用の防音・遮音材,建築用の免震材料としても使用されている。鉛管は古くから水道管に使用されていたが,近年は給水管には使用されず,一部の排水管に使用されるのみである。鉛はその用途によって他の金属との合金としても使われている。主な鉛合金として,鉛純度が95%以上でアンチモン,錫などが添加されているものと,鉛純度が98%以上でカルシウム、錫などが添加されているものがある。アンチモンを3%程度添加した鉛合金は鉛合金の中では強度が最も高く,硬鉛とも呼ばれている。硬鉛は機械的性質、耐食性などに優れる性質を有し,板・管などに用いられたり,化学工業用装置,継手などに使用されたりしている。鉛の需要量として最も多い自動車用蓄電池にも鉛合金は使用されている。カルシウムを添加した鉛合金は主として鉛蓄電池に使用されている。

 

表3.日本国内の鉛需要と供給

 世界の鉛鉱石生産及び精製鉛の需給を表5に示す。世界の鉛製錬原料の約50%は廃バッテリーを中心としたリサイクル原料であり,残りが鉛鉱石を製錬した鉛地金生産量となっている。WBMS(World Bureau of Metal Statistics)のデータ(World Refined ProductionおよびSecondary Refine Productionの比率)から,2016年の鉛地金の生産に占める再生鉛の割合を国別にみると,米国が最も高く100%となり,欧州が71%,日本が65%,韓国が49%,中国が33%となっている中国の再生鉛の割合が低いのは,自国内で採掘される鉱石により年間精製鉛生産量の半分近い原料が賄われているためである。但し,数量ベースでは世界の再生鉛の約1/4 は中国で生産されている。今後,中国の廃バッテリーのリサイクルはさらに増えることが見込まれる。

表4.世界の国・州別の鉛地金の需給推移

5.鉛価格

 鉛地金価格はLME(London Metal Exchange)で取引された金属価格で決定し,日本の鉛地金建値はLME価格にLME の倉庫から日本に運ぶ運賃と輸入費用を加えて,鉛地金建値としている。日本国内の鉛地金建値の発表は昔からの慣例で,三菱マテリアル株式会社が行っている。鉛価格は1988~2003年度までは500~1,000US$/tで推移したが,その後2,000~2,500US$/tまで上昇している。

図1.LME鉛価格と金属鉛の国内建値の推移

7.鉛製錬技術

 主要な鉛製錬法としてまず鉛溶鉱炉製錬プロセスが挙げられる。図2に鉛溶鉱炉製錬法の概念フローシートを示す。鉛硫化精鉱はそのままでは溶鉱炉で還元製錬できないので,焼結機にて酸化して酸化鉛にすると同時に焼結して焼き固める。その後,溶鉱炉に適した粒状に破砕して,焼鉱と呼ばれる焼結鉱を作る。酸化鉛の焼鉱は粒コークスと溶剤と一緒に溶鉱炉に装入され,還元溶融される。溶融した金属鉛とスラグは炉床部で比重差により上下に分離され,金属鉛はサイフォンにより炉外に取り出される。金属鉛中には銅が溶け込んでいるため,脱銅鍋にてゆっくりと冷却し,銅が銅滓として析出するのを待って,上部に浮かんだ銅滓を分離回収し,銅製錬原料とする。銅などの不純物成分が除かれた粗鉛は,陽極に鋳造して,電解精製によりカソードに精製し,電気鉛を得る。電気鉛は溶融され,型鉛に鋳造され,鉛蓄電池などのユーザーに販売されている。鉛の電解精製法はベッツ法と呼ばれる方法で,電解液に珪弗酸溶液を使用して行い,99.999%以上の高純度の電気鉛を製造している。ベッツ法の電解条件を表5に示す。

図2.鉛溶鉱炉法のフローシート

表5.鉛の電解精製条件(ベッツ法)

図3.鉛溶鉱炉概念図

 また,鉛は銅鉱石や亜鉛鉱石にも含有されており,亜鉛製錬や銅製錬にて鉛が濃縮する工程がある。亜鉛製錬ではISP法(Imperial Smelting Process) があるが,ISP炉の溶鉱炉の亜鉛蒸気の出口部に設置されたコンデンサーに鉛が貯められており,鉛のスプラッシュにより亜鉛を回収している。この鉛は主として亜鉛鉱に含有している鉛が利用されるが,鉛量が増加すると抜き出して鋳造し,電解精製して鉛地金を製造している。ISP法については亜鉛製錬の項をご参照。

 銅製錬では転炉や自溶炉のダストに鉛が濃縮することから,電気炉にてダストを製錬し,金属鉛を製造している。その電気炉製錬プロセスを図4に示す。また,図5に鉛電気炉の概念図を示す。15~25%程度の鉛を含有する銅製錬ダストを硫酸で浸出すると鉄,亜鉛,カドミウム等の金属元素は硫酸に浸出され,鉛,アンチモン,ビスマス等の金属元素は硫酸塩の形で残渣に残ることから,濾過して高濃度の鉛硫酸化物を分離回収する。この硫酸鉛に粉コークスを混合して造粒し,乾燥して電気炉に装入する。同時に,粒コークス及び珪酸鉱などの溶剤及び鉄スクラップなどの鉄源を装入して還元溶融する。電気炉のタップホールから粗鉛とスラグを抜き出すが,原料組成に応じて鉄ドロスや銅スパイスが粗鉛と一緒に生成することがある。鉄ドロスや銅スパイスが生成した場合には,冷却過程で融点差を利用して分離除去する。鉄及び銅を分離した粗鉛は陽極に鋳造して,電解精製する。また,粗鉛中に亜鉛,錫,インジウム,タリウムなどの金属元素が溶解している場合には,苛性ソーダ及び硝酸ソーダを添加して,ハリス処理にて不純物成分を除いた後に電解精製する。

図4.鉛電気炉法のフローシート

図5.鉛電気炉概念図

 溶鉱炉による鉛製錬法では,酸化反応と還元反応がそれぞれ別の製錬設備で行われているが,一つの製錬炉にて酸化と還元を同時に行って金属鉛を製造する直接製錬プロセスが近年開発され,鉛製錬所で稼働している。QSL鉛製錬炉やKIVCET-CS炉が挙げられるが,それぞれ炉内の一部の領域で酸化した後,還元することにより,硫化鉱より直接金属鉛を製造する効率的な製錬法である。それぞれの反応炉の模式図を図6,図7に示す。溶鉱炉法に代わって,これらの製錬プロセスが今後増加し,鉛製錬プロセスの中心となってくると思われる。

図6.QSL鉛製錬炉概念図

図7.鉛製錬KIVCET-CS炉概念図